発信するサル

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堀江貴文 「多動力」 感想

冒頭は、「堀江さんの自慢話が始まっちゃったよ、、、」と思っていたが、聞いてみると割とまともなことばかり仰るな、という感想。その通り、と賛同できることが多かった。

 

「電話をしてくるようなやつは自分の時間を奪うやつだから縁を切ったほうがいい」というのは笑ってしまったが、賛同できる部分が多い。私も電話のコールが大嫌いで、なぜ即時に私が作業を中断しなければいけないのか、メールではだめかと常々思っている。

 

「飽きたことはすぐにやめて、自分が一番面白いと思うことだけやれ」というのも、私も最近同じようなことを考えていた。飽きてしまったのになんとなく続けている習慣や、締め切りが近いからと自分を騙し騙しやっているあの作業の時間は、時間が極限まで薄く引き伸ばされた、この世で最も効率の悪い時間ではないかと考えるようになった。学生時分、この"飽きたこと""やりたくないこと"を無理やりやる時間の多かったことたるや。とても苦痛で、効率の悪い時間であった。

それでも、いやなことでも積み重ねてきたから、今の環境(学歴?地位?レール?資格?)にいることができるので、あの"石の上にも3年"の学生時代を否定するつもりはなく、むしろ自分はよく頑張ったなと思うのだが、年齢を経るとともに、私の考え方も変わってきた。

私も最近、"情動"が最も大切なのではないかと考えるようになってきた。飽きてしまったことを無理やり自分を騙してやるくらいなら、いっそ放り出してしまって、別の興味があることに没頭し、またやる気が出るまで待ったほうがよいのではないかと。

だが、もちろん「面白いことだけやる」なんてことができるのは恵まれた環境であり、人から使役されている労働者である以上は、現実的には難しいことも多々ある。しかし、「興味があることに没頭する」という時間は、人生において代え難い貴重な時間であると思う。

 

堀江さんは、「いろいろな肩書を持ったほうがいい。ひとつのことを一生懸命やる時代は終わった」と仰る。これもその通り。

ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」でも言及があったように思うが、それぞれの仕事は次第に機械やAIに置き換えられ、レジ打ちなどの単純労働だけでなく、専門職も不要となっていくと。そのとき大量の「不要階級」が生まれ、働くために人間はまた別の技術を身につける必要が出てくるが、人間はそのとき新たな技能・知識を身につける時間や体力が残っているのか、、、と。

堀江さんは肩書をたくさん持つことを推奨されたが、さらに大事なのは「どの分野も5年間やればある程度一人前になる」という部分だと思う。ただ新しいことを齧るだけでなく、ある程度没頭する必要があるということだ。

肩書をいくつか持ったほうがいいというのは、結局どの分野についても言えることではないだろうか。ある一つの分野だけに没頭しても、その見識は狭いままであり、新たなつながりや変化、広がりを見せることはなく、袋小路に突き進んでいく。例えば優秀な医療者は、哲学、倫理学、自然科学、経済学、政治学にも秀でているだろう。一つの分野に没頭し頂点に立つには、むしろほかの分野にも精通していることが必要条件なのではないだろうか。

 

私はどうだろう。医療、投資?、金融?、経済学?、文学?、ブログ?、YouTuber!?

面白いと思うことに没頭しよう。

 

「いくら本を読んでも現実に影響がなければ何の意味もない」。これはどの自己啓発本にも書いてあるが、相変わらずグサッとくる。仰る通り。行動しなくては。

 

堀江さんのすごいなと思ったところは、ずっとアウトプットを続けていることだ。刑務所の中でもメールマガジンを書き続け、ずっと発信してきたことをまとめたらベストセラーになったと。やはりインプットだけでは現実には何の影響もなく、アウトプットも続けなければならない。外界に影響がなければ意味がない。

 

非常に現代的な、効率的なものの考え方で、みんな堀江さんみたいな考え方で自由に生きられるようになればと思った(しかし全員が面白いと思うことだけやって、全員が幸福になれるのか?!)。ゆくゆくは堀江さんのような、"効率的な""合理性重視の"考え方が主流になっていくのだろうか。もうなっているのだろうか。

 

固定観念を壊し、「自分が考えていたことは正しいのかも」と思わせてくれる、背中を押してくれるような著作でした。

株式投資について①

PERもいまいち当てにならない。

やはり美人コンテストだなというのは痛感する。

日経平均は2万3千を超え、どれも割高に見える。人気銘柄の値段はだいぶ前に吊り上がってしまっている。

人気になってしまった銘柄はどこでエントリーしても負けだし、割安に見えるのはどれも人気のない銘柄ばかりと感じる。ここでダイヤの原石を見つけられるか、ということか。

業界によって勝ち負けはだいぶ決まってしまっているようだ。期待が吊り上がってしまっている"勝ち"業界に投資するのか、見捨てられた"負け"業界に投資するのか。

 

私の性格上、やはりどうしても底で買わなければ気が済まないというのはある。上げてから買ってしまっている時点で、なんだか負けているような気がする。

 

"今が底"で"これから上がる"銘柄を血眼になって探すしかないようだ。

NHKスペシャル 新・映像の世紀 第5集 若者の反乱が世界に連鎖した 感想

それにしても映像構成がうますぎませんか?いっつもオープニングとエンディングで感動してしまうんですが。

 

いつの世も若い世代は無知であり、それ故に純粋であり、高潔であり、暴走しやすくもあるということか。いずれも民主化を達成するパワーとなり、世界をより幸福なものに一歩近づけたと言えるだろうが、中国の文化大革命の例にもあったように、行き先を間違えば破壊のみをもたらすということか。

しかし文化大革命にも、若者を熱狂させる要因があったのだろう。富裕層と貧困層、資本家と労働者、体制と反体制といった対立構造の中で、持たざる者の怒りが噴出し大きな運動となることが多い。それが暴力的であるか平和的であるかによって大きく質を異にするように感じる。または、暴れるだけでその先の理想が無いのであれば革命ではなく反乱に過ぎないということか。

 

アメリカの若者たちの言っていた平和な世界は達成されるのだろうか。暴力や貧困のない世界が。今はまだ、それに向かう過程の一時の休息でしかないように思う。

 

仕事は楽しいかね?

2001年出版の本のようだ。

「それほど楽しくはないです」と思い、書店で手に取った。

何年も前に書店で見かけて気になっていたが、そのときは学生だったのか手に取ることはなかった。

 

考え続けること、試し続けること、変わり続けることをメッセージとして受け取った。

 

帯では「山中伸弥先生の愛読書」と宣伝があった。絶え間ない思考・努力・変化を続ける中で、最後に"偶然"が降り立つことで世紀の発明が生まれる、というのは以前授業か何かで教わったアイデアではあった。"チャンスは準備された心に降り立つ"という言葉でそのときは教わったように思う。

 

例のごとく、アイデアとして知っていても行動にうつすことは無く、今も平穏に生きている。しかし、何かひとつ行動してみてはと思い、ブログを始めた所存です。

 

イデアをアウトプットしていこうかと思う。本を読んでも、頭の中を巡るばかりで、アウトプットに飢えていたので。