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安宅和人 「シン・二ホン」 感想

国レベル、地球レベルでの未来構想が語られており、大変勉強になった。

 

日本という国家のレベルでの現状の分析と問題点、今後の構想、これまでのレガシーについて語られていた。

日本の現状については、私は正直よく分かっていなかった。どれだけニュースを見ても、「政治家が何かしているな」「日本は人口が減って衰退していくのかな」という印象しかもっていなかった。

 

人口減少を、調整局面と捉え、人口減少を前提とした構想をもつこと、国民一人一人の生産性を上げるという発想は、目から鱗だった。発展と成長は人口増加を前提としたものという固定観念に私はとらわれていたのだが、言及されているように、それは人口と生産性が比例しているこれまでの時代の前提に成り立つものであり、今後のAI×データ時代では成り立たないということだった。

 

AI×データ活用により、生産性を格段に飛躍させるというのは、おそらく現人類の皆が見ている夢であり、人類は見た夢を実現する習性がある。だがやはりまだ少し夢のようで、実感をもって感じられるのはいつになるのか(現にじわじわと変化は目の前でも起きているのかもしれないが)分からないが、楽しみに感じる(感じるだけでなく、私も夢の実現に一役買うことができればいいのだが)。

 

日本という国がこの先どこに向かっていくのか。科学技術大国として世界に食らいつき続けるのか、ゆるゆると衰退していく(それこそ、引退してしまう)のか。

どうやら日本人は(そして私は)北欧や西欧に夢を見て、過去の日本人のレガシーを食いつぶしながら、短い人生をそれなりに謳歌して、ゆるゆると衰退してく道を選んでいるようだと感じていたのだが(それこそ冒頭にあった閉塞感、黄昏感のような気持ち)、このように情熱を燃やしている方々がいらっしゃるのだと、勇気づけられ、感動した。私も、少しでも何かしなければと。

 

女性の解放、高齢者の解放、貧困層の解放という指針が、なんとなく美しい理想としてではなく、確かに日本に必要であるという切実さをもって語られていたのが印象的であった。特に貧困に関しては、身に染みて感じるものがある。貧困であると、日々に忙殺され、この「シン・二ホン」が目に留まることも、それを手に取ろうという意欲も、そもそも書籍を購入するお金の余裕も、ないのだ。

 

教育や研究について多くページを割かれていたように思う。確かに現在この国では、研究の道に進み博士まで取得するというのは、「物好き」のすることであり、学費を払わねばならず、給料も身分も保証されていないという、本当に罰ゲームの状態になってしまっている。「物好き」かつ金銭的土台がなければ、研究の道に進むという選択肢は、将来設計において真っ先に消える。

世界言語である英語で内容を明確に伝える訓練、つまりアウトプットの訓練を受けずに学校を卒業しているという内容は、耳が痛かった。社会で生きるための訓練を受けずに社会に出てしまっていると。現に皆、社会人になってから金銭を払って書籍を読んだりセミナーを受けたりして知識や教養を補っていることは多分にあり、現に私も今こうやって金銭的に落ち着いたからこそ、書籍を購入して思考を巡らすに至っている。

 

国家予算の話になると、どうしても医療費が矢面に立ってしまうのは避けられないように感じた。矢面に立たされるというよりは、まず第一に改善を施すべき「課題」が山積みになっている領域であり、私も努力せねばと感じた。どうしても仮想敵と見なされ、姥捨て的発想につなげられてしまう高齢者の方々を、「ここまでこの国を築いてきた功労者たち」と表現しているのは、とても好感がもてた。好感がもてるもなにも事実であり、今後我々が後世にレガシーを残す「功労者」となりえるのか、かつ若い世代に負担をかけずに生きる構造を生み出せるかという、課題が提示されている。

 

著者があとがきで語った、「国にも、自分にも、残された時間は少ない」という切実な思い。そう、人の一生は思っていたよりだいぶ短く、残された時間を数えることはあまりにもたやすい。

「未来の若い世代のために少しでも投資する」という思いは、地球レベル、国家レベル、個人レベルで大切にしなければならない。

 

耳障りのいい理想論ではなく、日本に今切実に必要とされている変革について語られている、良著であった。国民ひとりひとりが、このような国レベル・地球レベルでの視点をもつことができれば、と感じた。